ピットレポートの難しさ

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自分なりにはまったく満足いかないパフォーマンスでレース番組はどんどん進む。何度かピットレポートのチャンスはあったものの殆ど目の前のことを伝えているだけ。まったく付け足す情報もなければそれをゲットする術もないのでどうすることもできない。

12時間のレース中には休憩時間もある。TVコンパウンドでマジに打ち拉がれていたらテクニカル・ディレクターのマイク・クサマが話かけてきてくれた。

「タロウは日本人かい?」と、聞いてきた。聞くと彼は日系3世のアメリカ人。そこでちょっと日本の話が弾んだ。アジア人が殆どいないアメリカン・ルマンの業界で日本人を見るのはうれしいという。それもオン・カメラのタレントとして。あまりそのように考えたことはなかったが、確かにアジア人のテレビタレントは限りなく少ない。自分のことを今までタレントとして考えたこともなかったが、テレビに出る以上はそのように認識した方が良いとも思った。彼は子供のころはテレビにアジア人が出るなんてことは殆どなかった、と言い僕がこの仕事に挑戦していることをとても嬉しく思うと言ってくれた。がんばらんといけないと思ってまたピットレーンに出ていった。

出ていくと、ジェニファーが「なんかないの?」と聞いてくる。何度聞かれて、何度「何もない。。」と言ったことか。

アクシデントでリタイヤしたチームのインタビューをこぎつけてなんとかその場はセーフ。しかし12時間の長いレース。沈黙は厳禁なのである。すぐにまた、「なんかないの?」とくる。

もうイサギよく「がんばったけどこれは無理です」と言ってやめようか?現実的にどう考えても無理だった。いくらがんばっても、今できないものはすぐできない。相手はプロ、知識も技術もまったくかなわない。

でもそれって逃げているってことか?「太郎おまえここで逃げるのか、おい?」と自問。でも実際できないものはできない。迷惑にならないようにやめようか?と真剣に頭の中をよぎった。。。ここまでダメダメに何もできなかったことが思いだせないくらいにダメだった。

あ、そうだ。たしか柔道で白帯のころ黒帯の先生に投げられまくった時と同じだ。。。「そんなんで試合で出るなよじゃぁ!」とまた自答。

このジレンマ。困ったもんだ。

セブリング12時間レース始まり

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レースが始まるまでにはなんとかやるべきことは理解できたがそれを実行するのはまったく別問題。ケーブルTVで北米中に放送されるESPN2の番組と生で10時間放送されるESPN3の両番組を同じ制作チームが番組を作る。ボクはESPN3担当。ピットレーンにはESPN2の他3人のレポーターもいる。

決勝レースは3月17日(土)午前10:30にスタートした。さぁ、12時間耐久勝負の始まりだ。

最初の仕事はPrototype Challenge (PC) Classのポールチームのインタビュー。レース開始と同時に各クラスのポールポジョンを上から紹介しインタビューする。ここで各ピットレポーターも番組内で紹介される。昨年までジャガーでGTクラスに参戦していて初めて2012からPCクラスでエントリーしているRSRというチームをインタビューすることになった。ドライバーは3人いて、一人はクルマに既に乗っているのでスタンバイしている二人のウチの一人であるトミー・ドリースィー(Tomy Drissi)をインタビューすることにした。

いきなりぶっつけ本番の生放送で行くという。トミーにはスタートと同時にインタビューするからピットテントに来てくれと事前に頼んでおいた。

インタビュー開始5分前。トミー現れず。もう一人のドライバー、ブルーノ・ジュンケイラ(ブラジル)のレーススタートに立ち会っているとチームマネージャーは言う。番組はどんどん進む。プロデューサーは「なんとしてでも探せ」と右耳に言う。カメラクルーは既にピットテントでスタンバイ。

インタビュー開始まで3分。トミーまだいない。「トミーいないんだけど。。」と言っても「探せ」の一点張り。このままボクに振られて肝心のドライバーがいない。もう一人のドライバーも一緒にいない。

インタビュー開始一分前。トミー、やっと余裕ふちかましながら歩いてくる。トミーをつかみ隣にすかさず立つ。その瞬間アナウンサーのジョンが「さぁ、次はPCクラスのポールポジョンです。ピットレーンにいるタロウ・コキに行ってみましょう!」

さぁ、これがキューだ、トミーにマイクを向け「ジョンとジェレミーありがとう、チーム結成は本当にぎりぎりの2週間前。それでもポールポジション。。。」と質問。

同時にレースがスタートしたので爆音が後ろで流れて、自分の声、ヘッドホーンから流れる音何も聞こえない。トミーもボクが何を言っているのか聞こえない。クルマが過ぎ去った後聞こえたプロデューサーの声。

「OPEN YOUR MIC(マイクをつけろ)!」。。。

このドタバタの中で肝心の自分のマイクをオンにすることを忘れてしまった!口パク状態でスタートしてしまった。

すかさずマイクをつけもう一度質問をしてトミーにマイクを向けた。

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後から番組を見るとそれほどのミスではないように見えるが(と思う)その時はもう穴があれば入りたいほど。自分においおい、いきなり本番でやるかと?呆れと後悔が頭の中をぐるぐると巡る。やっちまったなと反省する反面、まだレースは始まったばかり。これからなんとかして挽回しようと気持ちを持ち直してピットレーンに向かった。

クレデンシャルよし

                                      セブリングのような大きなレースには火曜日に現地入りし、水曜日からサーキットで準備を始める。水曜日朝一の制作ミーティングに間に合うように宿を出た。しかしサーキットについたらまずクレデンシャル・パスをメディアの受付で引きとってから施設内に入る。慣れているイベントやサーキットなら勝手がわかっているのでスムーズに進むのだが初めてのサーキットに初めてのアメリカン・ル・マン・シリーズとあっておまけに広大なセブリングの敷地内のいったいどこにメディアセンターがあるのか分からない。メディアセンターに着くと名前が登録されていない。。。あらかじめ顔写真などオンライン登録で済ませてあったのに又その場で写真とったりその後迷ってなんやかんやシャトルに乗ったり降りたりしているウチにミーティングに案の定遅刻。一時間早く着く予定だったのに。。。大丈夫か、おい?と独り言いいつつ。

「おおー、来たか!」とプロデューサーに迎えられ、ミーティングに途中から参加し、15人ほど一度に紹介される。名前と顔を覚えるのが案外苦手な方なので結局誰が何なのかほとんどわからず。

ALMSのユニホームやジャケットを渡されたのだが、袋に書いてある自分の名前のスペルは完全に間違っていた。。。Tarrellって何?NFLワイドレシーバーみたいな名前だなと一人でウケて、おもわずTwitterでツイート発信。見渡せばまったく日本人というかほとんどアジア人もいないことに気づき、ま、これなら仕方ないかと変に納得した。

ミーティングで確認できたのはボクはあくまでもESPN3というESPNのオンライン配信版のレポーターということ。オンライン版と言ってもかなりしっかりしていて、ちゃんと専属のアナウンサーも二人いる。その内の一人はラジオ・ルマンで有名な英国人、ジョン・ハインドホフ。わざわざイベント毎にイギリスからやってくる。アウディのTruth in 24というドキュメンタリーを見たことある人なら知っているかもしれない。何度も彼は登場する。とにかくモータースポーツのことなら何でも知っていて、話をさせたら一流のレースアナウンサー。それがいきなりトレーラーに入ったら目の前にいてびっくりした。

もう一人はジェレミー・ショーというこれまた英国人。彼はアメリカ在住のレースジャーナリスト。アメリカの若手ロードレーサーを育てるTeam USA Scholarshipというなんともすばらしい奨学金制度を設立し運営したりとレース業界でしっかりと地位とリスペクとを築いている。

この二人をレース中ヘッドフォンのプログラムチャンネルで聞いていると自分の発音もつられてイギリス風になりそうになるので注意が必要なのだ。漫才ばっかり見ていると思わず関西弁で「なんやねん?!」とか言いそうになるのと同じことだと思う。冗談はさておき本当にこの二人、ボクを暖かく迎えてくれたのだ。

「分からないことがあったら何でも聞いてくれ」、

「なんか知りたいことないのか?」などと話しかけてきてくれた。

しかし正直あの時は何を聞けばよいのかさえ分からないほど分かっていなかった。読者の皆さんそのような経験があるでしょうか?

まずはキューバ料理で腹ごしらえ

Image圧倒的な(?)指示により今日もブログ投稿します。しかし、短めに。

フロリダと言えばマイアミ。マイアミと言えばキューバ料理。ということでマイアミからクルマで移動してセブリングまで行くことにした我々はレンタカーで北へ向かったが、まずは腹ごしらえということでキューバ料理の店をYelpで探した。そこで見つけたのがこのフリーウェイ横の食堂。会話はすべてスペイン語で超本場のキューバ料理を食わせるテイクアウトのみの店。鶏肉、プランテーンとご飯の定食。

いやー旨かった。。。

イベントは土曜日だが、セブリングには火曜日に入り、水曜日から現地で準備に入る。セブリングは大イベントなので町のホテルは超満員。ALMSのスタッフが用意してくれた宿はサーキットから10分ぐらいの貸屋。普通の家庭が普段は住んでいるただの家。そこをイベントの時だけ貸し出すのだ。おそらく良い金で貸し出せるんでしょう。旅行代ぐらいにはなるのかな?それともキャンピングカーでセブリングのインフィールドで一週間キャンプするのかな?いろいろと想像しながらとにかく人の家に五日間住むことになった。

Image裏庭の風景。。。

いきなりセブリング12時間レース

2012年アメリカン・ル・マン・シリーズ(ALMS)第一戦はかの有名なセブリング12時間レース(12 Hours of Sebring)。ル・マン24時間レースとディトナ24時間レースと合わせて世界三大耐久レースの一つと言われている。初開催は1952年だが1999年からアメリカン・ル・マンに権利が移り、ALMSの看板レースとなっている。
ボクのピットレポーターとしてのデビューは2012年3月17日のセブリング12時間レースから。知らないとは怖いものでロクに予習もせずまったく何もわからないままボクはセブリングに向かった。というか、自分の仕事自体いったい何をやるのかもあまり理解していなかった。ただESPN3のレポーターやるだけでは本職のGTChannelにあまりメリットがないので一石二鳥だろうと思い、ALMSの裏場面を捉えるALMS Undercoverというネット番組を企画。ビデオカメラマンのテディー君と一緒にフロリダはセブリングに到着。
レポーターをやることになったことをまず真っ先に報告したのがベストモータリングやホットバージョンでお世話になった日本のYTさん。「湖亀さんが行くなら視察がてら遊びにいこうかな」と。
YTさんはスーパーGTのテレビ番組制作やレース映像といえばこの人と言う人。初仕事に心強い味方が来てくれるとボクはちょっと安心且つあまりかっこ悪いところも見せられないと気が引き締まった。
一応ALMSのボスBenには「太郎ならではの見方とか、新しい観点から我々のレースを伝えて欲しい」ということを言われて白羽の矢が当たった。今思えば本当にとんでもないリスクを犯してボクを雇ってくれたんだなと思う。まったくレポーター経験も無く、ALMS自体詳しく知らない人間を何故雇ったんだろうと思うほど。。。
「自分なりの視点をレポートすれば良いのか」とだけ思って現地に到着したのだがこれがこの上なく読みが甘かったとことに気づき今まで経験したことない程の無力感をセブリングで体験するのである。
続く。。。